丘と水路と橋と火を

言葉と技術

「歌を作ることが怖い」という人へ

f:id:ashnoa:20171211024854j:plain

 

 

はじめまして。
短歌甲子園をご贔屓にしてくださりありがとうございます。
「歌を作ることが怖い」というのは高度な恐怖だと思えて、僕が問題を捉えられているかわからないのですが、感じたことを書いてみますね。

 

ご質問を読んでいて思ったのは、「歌を作ること」に対して、あなたのなかに強い理想のようなものがあって、それが一つの心理的なハードルになっているのでは、ということでした。

 

「高校生の頃から短歌や歌集を読むのが大好き」だったあなたには、おそらく自分の好きな短歌や歌集の情報が、たくさん蓄積されていることと思います。
そしてあなたの好きな短歌は、あなたのなかに短歌の理想像を作っているのではないでしょうか。

 

あなたの思う短歌の理想像と、いまのあなたが作ることのできる短歌の実像が、あなたにとっては乖離しているように思えてしまう。
それが「言葉の紡ぎ方、というレベル」として「歌を作ることが怖い」という思いなのではないかと、僕は感じたのでした。
(間違っていたら申し訳ありませんが……)

 

「言葉の紡ぎ方」という観点から抱く怖れは、きっと言葉や短歌にとってとても誠実な怖れです。
ただ重要なのは、怖れを抱かなくても済むような「言葉の紡ぎ方」を最初から身につけている人はほとんどいないということ。
もっといえば、あなたが理想とする短歌や作者のなかにもきっと同じ怖れを持って進んでいるものがある、ということを見落とさないことではないでしょうか。

 

いまのあなたが作る短歌の実像を見て、あなたは理想像からの乖離を感じたり、自分の「言葉の紡ぎ方」に怖れを抱いたりする。
でもそれは、ある意味当然のことなのです。
「大学生になって数回歌会にお試しで参加した」という言葉から、おそらく短歌の実作に関しては、現段階ではそれほど経験がないのではないかと想像します。
読解の経験は確かに実作を助けてくれるのですが、しかしいざ実作に取り掛かると、思っていた以上にうまく言葉が紡げなかったり、思っているようなものができなかったりして、苦しむことも多くあります。
でも、それで当然なのです。
まだ歩きはじめたばかりなんですから、理想から遠いのは当たり前なんです。
逆にいくら実作の経験を積んだとしても、そういう怖れを抱くことはあるし、言葉や短歌に対して誠実であろうとするときにはその怖れが必要なのです。
迷いや怖れとともに少しずつ進んでいく、そのなかで少しずつ身についてくるのが「言葉の紡ぎ方」なのではないかと僕は思っています。

 

現時点のあなたが、いきなり理想的な「言葉の紡ぎ方」をできる必要はないのです。
まずは少し肩の力を抜いて、実作者として「短歌を楽しむ」というところを続けてみてはどうでしょうか。
自身の「言葉の紡ぎ方」にもどかしい思いをすることもあるかと思いますが、そこで生じる迷いや怖れ、それに対する試行錯誤などを全部ひっくるめて楽しんで、とにかくたくさん短歌を作ってみる。
「言葉の紡ぎ方」が身についてから短歌を楽しむのではなく、まずは短歌や言葉を紡ぐことを楽しんだり、楽しめる空間やコミュニティに飛び込んでみたりして、そのなかであなたなりの「言葉の紡ぎ方」を身につけていけば良いのです。

 

「言葉の紡ぎ方」というのは、言ってみればスポーツなどでのフォームのようなものかと思います。
分析や読み解くことはできるし大切ですが、実際に身につけるには実践が欠かせません。
「短歌を楽しむ」という目標があって、でも「歌を作ることが怖くて」短歌が作れないのだとしたら、怖いままにでもいいから短歌を作って、楽しい場に出かけて、いろんな人と短歌の話をして、ヒントをもらってしまえば良いのです。
そのなかでこそあなたはあなただけの「言葉の紡ぎ方」を手にできるし、そのときあなたの抱いていた怖れは、言葉や短歌に対するあなたなりの誠実さとなって、あなたの作品を支えてくれるのだと、僕は思います。

 

長文・乱文の上、ちゃんと質問の回答になっているかとても怖くは思うのですが、とにかくは僕の思うところを書いてみました。
いつかどこかの歌会でご一緒して、あなたと短歌の話ができたらとても嬉しいです。

 

    *

 

「Peing」を試しにはじめたのですが、100字しか書き込めないようなのでこちらに。

何かの参考になれば良いな……。

質問箱 | https://peing.net/ashnoa