掲載情報
「歌壇」2020年2月号に、田中拓也歌集『東京(とうけい)』についての書評として、「明日のための記憶」という文章を寄稿いたしました。
『東京』、読み応えのある一冊です。読書のお供に、わたしの書評もどうぞよろしくお願いいたします。
こぼれ話
山の井の浅野大輝と東海の小島ゆかりと食うわんこそば
/田中拓也『東京』
書評には書かなかったこぼれ話ですが、歌集読んでるときに自分の名前が出てきて、びっくりしつつありがたかったです。
しかも、ちゃっかり小島ゆかりさんと共演させてもらっているという……。
上記の歌は、歌集中「開運橋」という連作で登場します。
これは盛岡・短歌甲子園での出来事を題材にとった連作で、実際にその場にいた人にとっては「ああ〜〜〜」と思い至ることも多い作品になっています。
短歌甲子園では夜の懇親会でわんこそば大会を行うのが恒例。
実際に田中さん・ゆかりさんと私で、高校生の子たちのわんこそば大会に審査員チームとして参加したこともありました。
そのときのことかなあと、現実の出来事を思い起こしつつ読めた一首でした。
そんなことから、歌意としては「ゆかりさんと浅野とわんこそば食べたよ!」という程度に取ってもいいと思うのですが、そのために用意された言葉の斡旋が非常にテクニカル。
まず「山の井」ですが、これは「山のなかの湧き水のあるところ」という意味のほか、短歌では以下の歌を下敷きにして「浅い」という語を引き出す言葉でもあります。
安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに
/『万葉集』
安積山(あさかやま)は福島県の山、つまりは東北の山です。
それを思うと、「山の井の浅野大輝」というフレーズは、短歌的な言葉の意味合いと、浅野の個人的なバックボーン(東北出身)を同時に取り込んだフレーズとも読める。
また、続く「東海」も同様です。
先述の盛岡・短歌甲子園が石川啄木を顕彰しているものであることもあって、「東海の小島」とは次の歌を下敷きにしたものであると想像されます。
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる/石川啄木『一握の砂』
つまりは「東海」→「小島」→「小島ゆかり」という言葉の斡旋がまずはあるのですが、加えて小島ゆかりさんは愛知県のご出身。
こちらも、短歌的なバックボーンと、小島さん自身のバックボーンが重なり合ったフレーズになっていると言えます。
人の名前を引き出すための枕詞や序詞など短歌的修辞の利用、というのは現代短歌でもしばしば見られるものです。
ただし、田中さんの1首は
の3つの要素を同時に満たしつつ、そんなことはあまり感じさせないような意味の軽妙さでまとめられた、非常にテクニカルな1首なわけであります。
最初「わ〜〜〜自分の名前だ〜〜〜」と喜びつつ、すらっと読んではしまったわけですが、あとでよく考えてみるとすごい歌だよなと遅れて驚いていたのでした。
書評に書く余裕はなかったのですが、代わりにこの場で以上放出した次第。
本当に良い歌集ですので、どうぞみなさまお手に取ってご覧になっていただければ幸いです。
私の書評も、どうぞ併せてお願いいたします🙏