丘と水路と橋と火を

言葉と技術

評論

短歌は〈わたしたち〉の文学である

序 短歌は〈私〉の文学か? 短歌は〈私〉の文学である――本当に? 明治中期の和歌革新運動にはじまる個の意識の発展と近代短歌への移行。アララギ派による写実主義の歌壇全体への浸透、その主義のモラル化による自我表現の硬直や画一化。そして戦後の前衛短歌…

短歌共鳴論(ver.0.2.1)を公開します

まえがき 短歌総合誌「現代短歌」にて予告を打っていただき、掲載を予定していた「短歌共鳴論」について、諸般の事情により誌上での掲載が取りやめとなりましたので、すでに制作済みの原稿について本ブログにて公開いたします。 「諸般の事情」などというと…

口語の歌はどのように詠われてきたか

Ⅰ:緒言——口語という特殊 こうご【口語】① 書き言葉に対して、話すときに用いる言葉づかいをいう。音声言語・話し言葉・口くち言葉などともいわれる。② 現代の話し言葉、およびそれに基づいた書き言葉。現代語。▽⇔ 文語 〔明治以前の時代に使われた言葉につ…

「定型っぽく読める」を考える

1 序論——定型っぽく読める? 歌会など、短歌作品を数名で読んでいるときのことだ。参加者の一人がある歌を一読して、その歌に対する評に移る。私を含めた数名がそれを聴いている。評者による批評が進行して、歌の韻律についての話が持ち上がると、評者が「こ…