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言葉と技術

口語の歌はどのように詠われてきたか

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Ⅰ:緒言——口語という特殊

こうご【口語】
① 書き言葉に対して、話すときに用いる言葉づかいをいう。音声言語・話し言葉くち言葉などともいわれる。
② 現代の話し言葉、およびそれに基づいた書き言葉。現代語。
▽⇔ 文語 〔明治以前の時代に使われた言葉についても、その時代の話し言葉ならびにそれに基づいた書き言葉を口語ということがある〕

松村明大辞林」第三版(三省堂、二〇〇六年)

 短歌における口語とはいかなるものか。そのことを考える場合に意識されるのは、短歌における口語やその様相が、いま引用した辞書的な定義のみでは正確には捉えられないということである。

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
俵万智『サラダ記念日』(河出書房新社、一九八七年)

 

たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔
/飯田有子『林檎貫通式』(BookPark、二〇〇一年)

 

わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる
/永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(BookPark、二〇十二年)

 口語短歌としばしば語られる歌を並べてみると、わたしたちが口語と一様に読んでいるものが、実はそれぞれ微妙に異なる口語となっていることに気づく。俵作品のように文末処理に話し言葉的な語尾が表出するタイプの口語短歌もあれば、飯田作品のように呼びかけの表現や大胆なリズムの導入に口語を見出せる短歌もある。反対に永井作品のように、口語であるということを大きく打ち出すのではなく、「〜したり」というような表現をさりげなく挿入し、ある種の空気感として口語をまとっているような短歌もある。

 俵万智『サラダ記念日』により口語表現のひとつのフォーマットが示されて以降、短歌における口語表現は爆発的に普及した。距離感の違いこそあれ、それまで短歌をしていたものも、新しく短歌をはじめるものも、口語という存在と無関係ではいられなくなった。口語との距離感をいかに保つのかということが関心を呼ぶなかで、多くの人が詠い/論じ、短歌の口語はさらに普及した。そのような普及の連鎖のなかで、口語の多様性が醸成されたのである。

 口語の普及はまた、口語それ自体の特殊性を喪失させることにもつながった。元来、口語は短歌において特殊であった。雅語など古典的な言葉遣い、書き言葉による歌が大半だったなかで、明治期に言文一致運動により口語で詠う流れが生まれ、特殊な新しい表現として口語導入の試行が続いた。平成期の口語もその延長にあるが、しかし口語の普及は口語を特殊で新しいものとするわたしたちの感覚を奪った。今日わたしたちの目に映る短歌の口語は、特殊であり特殊でなく、より一層身近で、多面的なものとなっている。

 平成の三十年間は、口語という特殊な表現を受容しその特殊さを発展させようとした三十年であり、同時に口語の普及によってその特殊さが薄らぎ見えにくくなった三十年でもあった。口語の特殊さと、その特殊さの喪失とが、グラデーションのように混ざりあい、口語として語られる短歌の多様性を生み出してきたのである。

Ⅱ:口語の分類——口語をいかに見るか

 平成において口語の歌はどのように詠われてきたのか。その問いはそのままでは大きすぎてつかみどころのない問いであり、糸口を見出すことも難しい。そこで口語がいかに詠われたかという問いの前に、いかなる口語が詠われてきたのかという問いについて考えてみたい。つまり、いかなる口語の短歌が詠われてきたのか、現在の感覚で口語の短歌の大まかな分類を立て、その分類を利用する形で、平成における口語短歌の詠われ方とその変遷を捉えてみたい。

 口語短歌の分類を立てる。そのように考えたとき、どのような基準や項目を設けて分類を行うのが良いだろうか。

 前節で引用した短歌作品のうち、たとえば俵作品と永井作品を見比べてみる。この二首には、文末処理などによって口語であることを読者にはっきりと示すか、それとも口語を短歌のなかにさりげなく導入して読者に口語であることを強く示さないか、という違いがあった。この違いを考えるなら、第一の分類として、読者に対する口語の提示の仕方が明示的か暗示的か、という区分が考えられるのではないだろうか。

思い出よ、という感情のふくらみを大切に夜の坂道のぼる
/内山晶太『窓、その他』(六花書林、二〇一二年)

 たとえば、ここに引用した内山作品は口語の短歌作品だろうか、文語の短歌作品だろうか。しいていうならば「〜よ」という呼びかけの印象から、文語と呼ぶこともできるかもしれない。ただ一方で、それだけの理由でこの作品を文語による作品だと断定することも現在では抵抗がある。というのも、この作品ではあくまでも文語ということが強く意識されていないがために、口語の短歌作品であるようにも見えてしまうからである。

 口語という語り方と文語という語り方のあいだに、明確な境界を断定することは難しい。口語と文語の境界もまた、グラデーションを描いてなだらかに繋がっている。そのため「文語らしくみえにくい」「文語ではない」という印象は、そのまま「口語のように見える」という印象とイコールになりやすい。口語が普及した今日では、文末処理などで口語を強く読者に提示しているという積極的理由だけではなく、一般的な文語のように見えないという消極的理由によってでも、口語による作品であると認識されるのである。

 以上より、口語のなかにも、口語であることを読者にはっきりと意識させる口語から、強くは意識させないが無意識的に文語ではないと感じさせる口語まで存在する。そこで、前者を明示的な口語、後者を暗示的な口語として区別する分類を第一に提案したい。例でいうなら、俵作品であれば明示的な口語、内山作品であれば暗示的な口語、永井作品はその中間より少し暗示的な口語となる。

 口語の分類を考えるうえで重要と考えられる項目は、もうひとつある。第二の分類は、定型に対してリズムを合わせるのか、リズムをずらすのかという韻律上の分類である。

 前節で引用した短歌作品のうち、今度は俵作品と飯田作品を比較してみる。この二首はどちらも明示的に口語であると感じられるが、俵作品が明示的に口語であると感じられる理由は文末処理にあって、韻律面では定型であったのに対して、飯田作品では韻律面での大胆なリズムの導入こそが、明示的な口語であると感じられる大きな理由であった。そのように考えてみると、口語短歌と呼ばれる作品のなかでも、定型のリズムに対して自身のリズムを合わせる作品もあれば、定型のリズムから自身のリズムをずらす作品もあるということに思い至る。

自然がずんずん体のなかを通過する——山、山、山
前田夕暮『水源地帯』(白日社、一九三二年)

 大正の終わりから昭和十年代にかけて、口語と自由律とがひとつのセットとして扱われていた時代があった。語尾による文末処理などがまだ未発達の状態であったがために、口語であるということを短歌のなかで保つためには、破調や自由律といった韻律面での操作が重要であったのである。

 現代において、口語と定型の両立は難しいものではなくなった。しかし口語短歌における韻律面での操作は、作品の表現の明確化や差別化、口語としてより自然な言葉遣いの実現のために、ふたたび用いられることとなった。それらを踏まえるならば、定型とリズムを合わせるのか、定型からリズムをずらすのかといった、韻律面での区分は重要となるだろう。そこでここでは、前者を定型との距離が近い口語、後者を定型との距離が遠い口語として分類することにしたい。例でいうならば、俵作品は定型との距離が近い口語短歌であり、飯田作品は定型との距離が遠い口語短歌である。

Ⅲ:平成口語短歌の諸領域——口語はいかに詠われたか

 前節までで、明示的/暗示的という第一の分類、そして定型との距離が近い/遠いという第二の分類を得た。これらの単純な組み合わせとして、次の四通りが挙げられる。
 (1)明示的/定型との距離が遠い
 (2)明示的/定型との距離が近い
 (3)暗示的/定型との距離が近い
 (4)暗示的/定型との距離が遠い

 単純な分類であるが、これを平成において口語の歌がどのように詠われてきたのか考えるためのツールとして利用することは可能だろう。そこで本節では、この口語の分類を利用して、平成における口語短歌がどのように詠われたのか見てみたい。

 まず「(1)明示的/定型との距離が遠い」口語短歌から見ていきたい。この分類に当てはまる作品として、先に挙げた飯田作品の他に次のような作品が挙げられる。

年収を越したらもう返せない父よ生きかえって霧のなかから現れてくれ一万円札の束持って
/フラワーしげる『ビットとデシベル』(書肆侃侃房、二〇一五年)

 

スプーンのかがやきそれにしたって裸であったことなどあったか君にも僕にも
/瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end.』(書肆侃侃房、二〇一六年)

 口語自由律の流れにも近しい領域であるが、この領域に分類される口語短歌や、このスタイルを継続している作者は、平成においてそれほど多くはない。ただし二〇一〇年代後半にかけて、フラワーしげるや瀬戸夏子など、この領域での口語短歌が少し増加した印象は受ける。作品の特徴としては、定型との距離を意図的に遠く取ることによって他の短歌作品との差別化を図っていることや、一般的な定型に近い短歌に対する批評としての機能を持つ作品となりやすいことなどが考えられるだろう。

 次に「(2)明示的/定型との距離が近い」口語短歌としては、先に挙げた俵作品のほか、次のような作品が挙げられる。

電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ
東直子『青卵』(本阿弥書店、二〇〇一年)

 

「雨だねぇ こんでんえいねんしざいほう何年だったか思い出せそう?」
/笹井宏之『ひとさらい』(BookPark、二〇〇八年)

 俵作品が一般に受け入れられて以降、非常に多くの作品が試みられたのがこの領域といえよう。特徴としては、話し言葉的な語尾による文末処理や、会話体・敬体の導入など、はっきりと口語であることを意識させる表現などがある。平成の三十年を通して継続的に詠まれているタイプの短歌であり、口語短歌といった場合に挙げられる歌は、依然としてこの領域のものが多いと思われる。

 「(3)暗示的/定型との距離が近い」口語短歌には、先に挙げた内山作品のように「文語ではない」という意味での口語短歌などが挙がるほか、永井作品のように若干の韻律面の操作はありつつも定型を意識させるリズムで、口語をそれほど強く打ち出さず空気のように纏うタイプの作品が含まれる。

ゆっくりと両手で裂いてゆく紙のそこに書かれている春の歌
/堂園昌彦『やがて秋茄子へと至る』(港の人、二〇一三年)

 

抒情とは裏切りだからあれは櫓だ櫻ではない咲かせない
/千種創一『砂丘律』(青磁社、二〇一五年)

 (2)の領域についで、この領域も非常に多くの作品を有している。特徴としては、短歌で一般に文語と呼ばれる古典語の特徴を持つ語彙は登場しないものの、現代的な書き言葉の範疇であれば導入されうるということや、定型に近い一方で内部では句跨り・語割れなどの韻律的操作の適用が多くみられることなどが挙げられる。語尾など文末処理で口語的に見せるというよりも、文語・古典語の削減や、リズムのシンコペーションによって口語を纏う領域である。

 最後に「(4)暗示的/定型との距離が遠い」口語短歌として、次のような短歌が挙げられるだろう。特徴としては、暗示的な口語を利用して定型との距離をあけつつも、定型から完全に逸脱するわけではなく、ぎりぎりのラインで韻律を保っていることである。

くもりびのすべてがここにあつまってくる 鍋つかみ両手に嵌めて待つ
/五島諭『緑の祠』(書肆侃侃房、二〇一三年)

 この領域に分類される短歌は、現在はそれほど多くはない。これは、定型を離れた口語にしようとするほど口語は明示的に示される傾向があり、(1)の領域に接近するためであると考えられる。

Ⅳ:結言——口語はいかに変わったか

 以上の四領域に対する作品の登場を時間軸上に配置してみれば、平成における口語短歌のおおよその変遷が浮かび上がる。

 平成に至るまでの時代は、口語自由律短歌など(1)の領域から出発し、さまざまな試行錯誤のなかで次第と(2)の領域に移行していった時期であったと言える。一九八〇年年代に『サラダ記念日』が登場することで、口語短歌におけるひとつのフォーマットとして(2)の領域が確立し、この領域での作品が急激に増加していくこととなった。平成という時代の口語短歌はこの(2)の領域をボリュームゾーンとして出発し、それぞれの作者がそれぞれに固有の表現を求め他の領域を模索していくなかで発展したのである。

 他の領域への拡大を大まかに並べるならば、最初に(2)の領域から(3)の領域への移行が二〇〇〇年代にかけて進んだ。これは短歌における口語が急速に普及したことによって、さりげない表現としての口語が発展したことや、それまで意識されなかった作品が暗示的な口語として受容されやすくなったことなどに起因する。その後二〇一〇年代にかけて、ボリュームゾーンとなっていた(2)や(3)の領域からの差別化を図る形で、(1)への領域の揺り戻しが見られた。また(3)よりもさらに自然な日常の言葉への接近を求めて、(4)の領域への進展も図られることとなった。

 明示から暗示へ。定型から遠くへ。極めておおまかな見立てではあるが、平成における口語短歌の変遷は、そうした傾向のうちにあったとまとめることができるだろう。平成はまさに口語の新領域を求めて表現が模索された、口語の発展期であったのである。

 

(初出:「塔」2019年6月号・リレー評論「平成短歌を振り返る」第2回)