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言葉と技術

短歌共鳴論(ver.0.2.1)を公開します

まえがき

短歌総合誌「現代短歌」にて予告を打っていただき、掲載を予定していた「短歌共鳴論」について、諸般の事情により誌上での掲載が取りやめとなりましたので、すでに制作済みの原稿について本ブログにて公開いたします。


「諸般の事情」などというと色々と誤解を招きそうなのであらかじめ断っておきますと、誌面事情による掲載延期などもありましたが、掲載中止の主な要因としては浅野の力不足によるものです。

「現代短歌」編集部のみなさまはじめ、関係各位には多大なるご厚意をいただいておりました。

その期待に最終的には応えることができなかった、かつ、改稿作業にも多くの時間を要することが見込まれる、という二点より、協議の上いったん「現代短歌」での掲載については取りやめとさせていただきました。


ですので、以下の「短歌共鳴論」の内容については、今後さらなる検証および改稿が必要なものとなります。

一方、不完全ではありながらも短歌についていくつかの知見を含んでいる可能性もあるのではないか(と浅野は感じている)ということで、今回いったんver.0.2.1(つまりはメジャーリリース前のもの)という形で、「現代短歌」編集部と合意のうえ、現状の原稿を公開する次第です。


自身の力不足ということで非常に悔しく申し訳ない気持ちでいっぱいですが、今回公開するものをひとつの起点に、さらに研究を重ねていきたいと思います(実際にさらなる改稿のため、新しく論のアウトラインをつくりなおすところから作業はしておりましたが、その作業についてももし今後ある程度形になることがあれば公開したいと現状では考えております)。

不完全な論とはいえ、何か少しでも短歌や短歌に関わる方々に資する機会があることを祈ります。



本文PDF

本文全体として3万字程度の分量がありますので、PDFを用意いたしました。

ご都合に合わせてご利用ください。

なお、もし本文からの引用などを検討される方がいらっしゃれば、著者名(浅野大輝)および評論名(「短歌共鳴論」もしくは「短歌共鳴論(ver.0.2.1)」)の記載を最低限行っていただけますと幸いです。


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短歌共鳴論(ver0.2.1)

Ⅰ:緒言


 「短歌を詠む」とは、どのような行為であるか?


和歌《やまとうた》は、人の心を種《たね》として、万《よろづ》の言《こと》の葉とぞなれりける。世の中にある人、事《こと》・業《わざ》しげきものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり。

紀貫之「仮名序」[1]


 日本における短歌および歌論の展開を見ると、『万葉集』および『古今和歌集』に代表される古代の短歌から、『万葉集』を称揚したアララギ派による近代短歌に至るまで、概ねその性格として現実主義的・実情主義的側面が強いことが指摘されている[2]。『新古今和歌集』による題詠などを採用した非現実主義的な歌作や、いわゆる反アララギ派と目された近代短歌以降の動きなどもあったが、それでいてなお古来から続く「人の心を種として」「見るもの聞くものにつけて」語るという伝統の磁場は、現代においても依然として根強い。「短歌を詠む」ということを「現実における作者の経験や心情を重視して、それに即した作品を生み出すこと」として捉える短歌観が、今も主流として君臨し続けているのである。

 このような短歌観のなかにおいて、「短歌を詠む」という行為に対する認識が、単なる現実主義や実情主義に収まりきらない歌論も存在する。なかでも特に筆者が注目したいのが、藤原定家における「有心体」の理論と、斎藤茂吉における「実相観入」の理論である。


さてもこの十躰の中に、いづれも有心躰にすぎて哥の本意と存ずる姿は侍らず。(中略)よく〳〵心をすまして、その一境に入りふしてこそ稀にもよまるゝ事は侍れ。

藤原定家「毎月抄」[3]


実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である。

斎藤茂吉「短歌に於ける写生の説」[4]


 これらの歌論も先述の現実主義・実情主義と決して無関係でなく、むしろ(特に茂吉において)そのなかから生まれてきた論である。一方でその主張は、「短歌を詠む」という行為やそのときの作者とその周囲との対峙の仕方について、作者の側から捉えた現実・実情が短歌を生み出すという単純な認識を超えたところで捉え直している。これらの歌論において、短歌制作とは「よく〳〵心をすまして、その一境に入りふしてこそ」そして「実相に観入して自然・自己一元の生を写す」ことができてこそ達成される行為となる。そこには、どちらも作者が特定の状態において歌となる対象と通じ合うという、双方向的かつ動的な短歌制作の姿が共有されている。

 短歌史的にみて異なる背景のなかで短歌制作に打ち込んできたと考えられる定家・茂吉という両者が、それぞれ差異は含みつつも、歌論の終着点において短歌制作に対して似通った態度を得るに至っているということは、非常に示唆的である。ここにおいて、例えば両者の歌論の相違点・共通点を調べ、それらを止揚することができるとしたら、そこには従来の短歌制作に対する認識を更新しうるような視座が見つかるのではないだろうか? そしてそのような視座から、わたしたちは短歌制作をより良く実践するためのヒントを得ることができるのではないだろうか?

 定家および茂吉については、写生という概念の上で――つまりは茂吉(ないし正岡子規ら)の側から、定家について評するという意図の文章・論文が複数発表されている[5]。しかしそれらはあくまで両者の短歌作品に対する理解や評価を述べるものであり、定家・茂吉のそれぞれの歌論を対照したり、そこから短歌制作についてのさらなる理解を引き出したりものではなかった。特に定家の「有心体」については、近年では言及自体少ない状況が続いていた。また短歌以外の分野に目を向ければ、哲学や認知脳科学などの分野から、芸術作品の制作活動や人間の知覚・認識といったものの成り立ちについて、人間とその周囲の世界とのあいだの双方向的なやりとりの存在を重要視する知見が近年において複数提出されている。これらの短歌的な視座からの理解も今後重要性を帯びてくると予想されるが、現在ではまだこれらの知見を活用した歌論は多くはない。

 以上を踏まえて、本論では定家による「有心体」および茂吉による「実相観入」という二つの歌論を足がかりに、「短歌を詠む」という行為についてメンタルモデルの素案を新規に得ることを目指す。また、そのモデルに対して短歌制作以外の分野からの検証を行うことで、モデルに対する検討をさらに進める。このモデルを得ることで、「短歌を詠む」ということの理解を進め、短歌制作ないし読解という実践に還元することを最終的な目的とする。

 歌論的には定家・茂吉という限られた作者に拠るところから、あくまでもここでのモデルは素案ではある。また「短歌を詠む」ということがどういう行為なのかということは、態度論的な要素を多く含み、作者個人のスタンスによって捉え方に差異が生じやすい。しかし(少なくは見られるかもしれないが)二つ以上の歌論を対照させた議論から止揚によって取り出され、他分野からの検討も受けたモデルであれば、妥当性はある程度検証・補強されたものとして、短歌制作の実践的な理解につなげていくことも期待できるだろう。


Ⅱ:「有心体」と「実相観入」


さてもこの十躰の中に、いづれも有心躰にすぎて哥の本意と存ずる姿は侍らず。(中略)よく〳〵心をすまして、その一境に入りふしてこそ稀にもよまるゝ事は侍れ。

藤原定家「毎月抄」[6]


 定家は「毎月抄」において歌を十体に分類し、そのなかの一体でありかつ他の九体を貫く至高の体として「有心体」を想定した。

 ここで定家の「有心体」という用語の使用には多義性が認められるわけであるが、安田章生はこれを「広義の有心体」と「狭義の有心体」の二種類に分けて、「広義の有心体」を「『やさしくものあはれ』なる姿の歌が有している抒情性」を指すものとし、「狭義の有心体」を「或る境地に澄み入ってこそ初めて詠み得る体」を指すものとした。また「狭義の有心体」については「秀逸の体」という当時の一般的な優れた歌についての概念と比較することで、「『秀逸の体』から、『心』という観点に立って、一つの様式概念にまで結成せしめているもの」という指摘を行い、定家が歌を「よくよく詠吟して、こしらへて出すべき」と捉える「詞」重視の歌人であったことも踏まえて以下のように結論づける[7]。


 定家は、(中略)詞に対してとりわけ強い関心を示しながら、「心あり」というわが国の詩歌の伝統である抒情性に、彼なりの回帰をしたのであったが、そのことと矛盾せずに知的構成を重んじ、沈思する作歌態度を持していた。「有心体」とは、そういうところに結成された理念であり、「有心体」の歌とは、そういうところから詠み出される歌であったのである。

安田章生『藤原定家研究 増補版』[8]


 つまり「有心体」とは、古来からの現実主義・実情主義的な「心」という抒情性を見据えつつも、「沈思」すなわち歌の表現たる「詞」に時間をかけて向き合うことをその短歌制作の態度においた理念ないしそれにより生み出される作品自体であったわけである。

 「よく〳〵心をすまして、その一境に入りふして」という定家の短歌制作上の態度については、安田の指摘する「詞」への「沈思」という理解のほかにも、複数の論者が考察を行なっている。田中裕は国文学の分野から、「一境に入りふす」という語を、「歌題あるいは選択された主題に応じた本意や特定の素材の観念等が集まって織りなす世界」という「対象」と作者という自己とのあいだに「かゝはりあひの深さ」をもたらすための「徹底」と捉える。そして、「一境に徹底するところの有心体とはもとより異常な精神の集中を意味してゐた」と同時に「単純に唯心的なものではなく、自他のかゝはりあひの深さの上にその課題性を見出してゐた」と指摘している[9]。また伊達立晶は美学の分野から、諸芸術の制作活動を「表現」(作品に先立つ深層と、それが作品化された表層という二側面を前提にする概念)と「創造」(もとの素材からは予期しない新奇性が感得されるような超越的な性格を持つ作品を志向する概念)の二側面から検討するなかで、定家を「知恵の力」を用いた制作方法を採る「うた作り」と捉え、そこに超越的性格の「創造」があることを認めて「定家の到達しようとする境地とは(中略)既存の何ものにも回帰しようとしないことによって偶然的に得られるもの」であると結論づける[10]。

 以上を踏まえるなら、定家の「有心体」の理念における短歌制作という行為とは、実情的・現実的「心」に一定の位を与えつつも、より「詞」すなわち言語表現を通じて、周囲の世界に現れる対象と自己との関係性に集中することを重視した方法であったとまとめることができよう。このような短歌制作の理念を置くことで、定家は自身の作品を伝統的な短歌観に接続しつつ、さらなる新奇性や超越性を有する「有心体」の歌として成立させようとしたのである。


  *


 一方で、茂吉による「実相観入」とはどのようなものだったか。


実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である。

斎藤茂吉「短歌に於ける写生の説」[11]


 茂吉は「写生」という語について中国における五代十国時代の画家・黄筌の用法まで遡りつつ、その本来の語義には「実物に拠つて画くこと、従つて迫真といふこと、それから生気の気、神《たましひ》を伝へるぐらゐの意味」があったと述べる。そして「写生」とは「生を写す」ということこそが本質であるとした。さらに茂吉は、そのような本質的な部分を理解しないで、例えば「写生の特質として、非時律的・静止的といふことを、極めて平俗的に教へようとするのは已に浅薄」で、「短歌になると、感情の自然流露を表はすことも亦自己の生を写すことになり、実相観入になり、写生になるのである」から、「没感情が写生の特質だなどといふのは愚者の言である」と写生の概念を狭く捉える認識を糾弾していくのである[12]。

 茂吉がここで述べる「実相」「観入」「自然」なる語については、いささかわかりにくい部分もあり、さらなる説明が必要であろう。

 わかりやすい順に言えば、まず「実相」について、茂吉自身は「das Reale」「現実の相」とも言い換える[13]。つまり、いま・ここに立脚した本質的な様相・性質について指していると考えられる。

 次に分かりやすいのは「自然」であるが、こちらについては茂吉自身、和辻哲郎による文章の一節を参照して説明する。


ここに用いる「自然」は「人生」と対立せしめた意味の、あるいは「精神」「文化」などに対立せしめた意味の、哲学的用語ではない。むしろ「生」と同義にさえ解せられる所の(ロダンが好んで用うる所の)、人生自然全体を包括した、我々の「対象の世界」の名である(我々の省察の対象となる限り我々自身をも含んでいる)。それは我々の感覚に訴えるすべての要素を含むとともに、またその奥に活躍している「生」そのものをも含んでいる。

和辻哲郎「『自然』を深めよ」[14]


 着目すべきは、この文中では「自然」を一般的・日常的用法での語義としてではなく、わたしたち自身をも含めた「対象の世界」という語義で使用していることであり、茂吉の「実相観入」における「自然」もこの意味であるということである。ここには「写生」という概念の対象を、自己の存在する世界内のあらゆる具象・抽象にまで押し広げたものにしようとする茂吉の意図が読み取れる。

 残った「観入」については、茂吉による『短歌初学門』[15]の「単純性」および「観入」の項に当たることで理解しやすくなるということを篠弘が報告している[16]。この報告に従って、二項より理解に役立つと思われる箇所を引用する。


(前略)単純化の実行はただ言葉の切盛り材料の削除といふことでなくて精神の集注即ち凝心といふことが大切だといふことが分かる。時には凝心が即ち単純化だとさへ思はしめることがある。純に凝心すれば無駄なものがおのづと除かれて単純化の実行が出来るといふ場合がなかなか多いことを記憶して欲しいのである。

「単純化」の項より[17]


 元は『ものを捉へる』と云つた、即ち観入が出来たといふことである。(中略)

その時直ぐ表現になる、つまり歌言葉になつたなら、直ちに手帳に書きつけ置く方が便利である。また観入が早く出来ない時には、長いあひだ凝視してゐる。いろいろと視てゐる。(中略)今までただぼんやりと見えてゐたものが、今度は鮮明に見えて来る、即ち具象化して来る。これが即ち観入である。(中略)

観入の法は、単に『視えるもの』にとどまらず、観念の世界にあつても、或は思想方面にあつても、社会方面にあつても、観入は常にそれらのものを閑却してしまはずともいいのである。

「観入」の項より[18]


 篠は「単純化」の後に「観入」の項が執筆されたという時系列を踏まえて、「単純化」における「精神の集中即ち凝心」がつまりは「凝視」につながり、「今までただぼんやりと見えてゐたものが、今度は鮮明に見えて来る」という「観入」の概念に結実したと指摘する[19]。ここにおいて「観入」とは具象・抽象に限らない対象について集中するという認識の姿勢であり、このとき結果的に成し遂げられるのが「単純化」による「歌言葉」の創出であると言える。

 以上を踏まえるなら、茂吉の「実相観入」とはつまり、いま・ここの様相に立脚しつつ、その世界のなかで作者自身が特定の対象に向かって集中し、自己と対象との連関が深まったところで、その「生」つまりは世界内のあらゆるものが有するダイナミズムを捉えていこうとする態度・方法意識であるとまとめられる。そしてこのような茂吉の理念に基づく短歌制作においては、「歌言葉」つまり作品における表現とは、態度の徹底により「おのづと」生じるものと考えられていたのだということができる。


  *


 ここまででざっと定家による「有心体」の理念と、茂吉による「実相観入」の理念をまとめてきた。次章でこれらの共通点・相違点を考察したいが、その前に両者の間に相互に影響関係があったのかということを確認したい。ただし当然のことながら、時系列的に定家の「有心体」が茂吉の「実相観入」の影響を受けることは不可能である。そのためここで問題になるのは、茂吉が定家の「有心体」の理念の影響をどこまで受けたのかということになる。

 筆者は二つの理由により、茂吉の「実相観入」において定家の「有心体」の理念による影響は少ないと考える。

 一つ目の理由には、茂吉による「実相観入」の成立に多大な影響を与えたものが、ドイツの哲学・心理学であるという指摘が複数なされていることが挙げられる。これについて、本林勝夫がヴント、リップス、フォルケルなどの理論に早くから茂吉が親しんでいたことを指摘している[20]ほか、前田知津子などがニーチェの影響について指摘している[21]。斎藤茂吉という人物の経歴と併せて考えるに、茂吉がドイツの思想からの影響を受ける可能性は大きいと考えられるため、これらの指摘も妥当と見て良いであろう。

 二つ目の理由には、茂吉による定家ないし「有心体」に対する評価が、総じて高くないことが茂吉の著述から窺えるということが挙げられる。茂吉による定家の評価としては、源実朝歌人として育てたということから「歌に関しては骨の折れる仕事をして居る」、「歌人としてもそれ相応の歌人であつて、わが同人が考へてゐる程つまらぬ歌人では無い」[22]と一九一六年(大正五年)頃は述べつつも、「有心体」については「鑑賞するとなるとさう安易には行かない」「飽きて来て気根よく読つづけることがむづかしい」[23]と一九二六年(大正十五年)に記しているほか、一九三二年(昭和七年)に書いた前述の「単純化」の項においては「定家の歌のごときは外形がただごたごたしてゐるだけで真の中味は存外つまらぬものが多い」とまで書いている[24]。これらのことから、歌人としての業績や能力は認めつつ、その作風や理念についてはそれほど共感していなかったということが容易に想像できる。

 以上のように、茂吉が定家の「有心体」の理念や作品について評価・共感しておらず、また他にドイツの哲学・心理学という共感しやすい影響源があったという事実から、茂吉が「実相観入」の確立にあたって定家の「有心体」を参考にしたとは考えにくい。もちろん茂吉としては「有心体」というキーワードは理解していたと思われるが、必ずしもその理念や作品には納得してなかったのである。そのように考えれば、茂吉の「実相観入」は定家の「有心体」より時系列的には後のものではあるが受けた影響は薄く、両者の理念はそれぞれ別個に成立していったものと見て良いと思われる。


Ⅲ:短歌制作における共鳴モデル


 ここまで本論では、定家による「有心体」の理論と、茂吉による「実相観入」の理論をそれぞれ簡単に確認した。そして二つの理論が、歌論としてはそれぞれ異なる背景のなかで形成された可能性が高いと考えられることを示した。上記を踏まえ、本節では両者の共通点・相違点をそれぞれ再確認し、そこから両者の理論を止揚した短歌制作のメンタルモデルを検討していきたい。

 まず両者に大きく共通しているのは、(一)短歌制作という行為において、自己とその自己が向き合う特定の対象――ここには実在的な対象も観念的な対象も含まれている――とのあいだで、何らかの精神的な集中および相互の連関が発生することの必要性を見出しているということと、(二)短歌とはその集中・相互の連関の結果として生み出されるものであるということの二点である。

 ここで注意すべきは、定家・茂吉の両者とも、自己の側から行われる集中という行為のみを重要視していたわけではなく、あくまでもそのような集中をひとつのきっかけとして生み出される、自己と対象との深い連関について最大の関心があったということである。たとえば茂吉の「実相観入」において、「実相に観入して自然・自己一元の生を写す」という一文が示している内容の主眼は、「自然」と「自己」とが「一元」となっているところの「生」というダイナミズムを捉えるというところにある。これは単に自己が何らかの対象に集中するということ以上に、自己とその向き合う対象との間に一元性を見出して理解するという、自己と対象との相互の連関の上に成り立った把握・理解の創発を目指すものと理解できる。また定家においても、「よく〳〵心をすまして、その一境に入りふして」ある対象に向かうときにこそ、「有心体」の理念が達成されるのであった。定家において自己が向き合っている対象とは、実情的な世界の実体というだけでなく「詞」であるという感覚が強いが、自己とそれが向き合う対象という二者の間の関係に立脚し、そこで「沈思」しつつ対象に繰り返し向かって表現を探るという態度からいえば、やはり単なる集中のみならず自己と対象との相互の連関にこそ主眼がある。出発点やその成立の背景は異なるが、定家・茂吉の歌論は、ともに自己とそれが向き合う対象との相互の連関や関係の深まりの上に短歌という作品が成立すると捉えているのである。

 続けて、両者の歌論の相違点について見てみよう。両者の歌論で大きく異なるのは、短歌制作における作者自身という自己と、その自己が扱う言語表現との関係性である。茂吉において短歌制作における言語表現とは、「単純化」や「凝心」「観入」という態度・行為によって「おのづと」生じるものであるとされた。一方で定家は「よくよく詠吟して、こしらへて出すべき」と考える「詞」重視の歌人であり、その歌論での言語表現は自身が向き合う対象のうちのひとつとして扱われていた。つまり、茂吉の歌論においては作者自身の「実相観入」という態度が主眼であって言語表現とはあくまでもその結果であるという構図となるが、定家の歌論においては必ずしもそうではなく、「心」という実情的な側面と「詞」という言語表現の側面のどちらにも同程度の重要性を与えているのである。

 以上で二つの歌論の主な共通点・相違点を確認した。ここからは、これら共通点・相違点を踏まえた短歌制作のメンタルモデルの検討に移ろう。なおここでは、まずは両者の共通点・相違点を共に反映するようなモデルを検討し、次にそのモデルに対して近年の哲学や認知脳科学などの短歌以外の領域からの知見を援用しながら補強を行う、という順序でモデルの構築を試みる。

 まず両者の共通点から、このモデルにおいては「集中」など何らかの行為の起点となりうる自己と、その対象となりうる他者の――これは必ずしも人物に限らず、物体や概念であることもありうるような――存在が必要である。そこで前者を〈わたし〉とし、後者を〈わたし〉に対するものとして〈あなた〉と呼称を与え、モデルに導入したい。また差し当たって、〈わたし〉や様々な〈あなた〉が存在している場を〈世界〉という語で呼称したい。

 先述の共通点(一)を満たすためには、いくつか設定を確認する必要があるだろう。まず一つ目に、〈わたし〉および〈あなた〉は、それぞれその〈世界〉のなかにおいて何らかの行為を行うことができるものである必要がある。二つ目に、それらの行為により〈わたし〉や〈あなた〉はそれぞれ他者に対して影響を及ぼしその様相を変化させる可能性を持っている必要がある。三つ目に、〈わたし〉は何らかの行為の起点であるがゆえに〈わたし〉である必要がある。これら三つの設定により、〈わたし〉という存在が〈あなた〉という対象に向けて何らかの――「集中」や「凝心」などの精神的なものや、はたまたそのほか身体的なものといった――行為を行う存在であるということが規定される。また、〈わたし〉と〈あなた〉との間の差異を――追って検討は必要ではあるが、ひとまずは――行為の起点となりうるか否かということで規定することができる。そして同時に、このモデルにおいて〈あなた〉は、単に〈わたし〉からの何らかの行為を受けるだけの存在ではなく、〈わたし〉に対して様々な影響を与えうる力を持った存在となる。以上により、この〈世界〉のなかの〈わたし〉と〈あなた〉は、〈わたし〉という存在を起点として、互いに影響を与えつつ存在することとなる。このように〈わたし〉と〈あなた〉での相互の影響の存在をモデルとして設定することで、茂吉や定家における対象との深い連関という共通点は概ね満たすことができると思われる。。

 共通点(一)の次は、相違点を解決するためのさらなるモデルの設定を確認したい。定家・茂吉の歌論の相違点は、作者という自己とその言語表現との関係性にあった。ここで改めて両者について検討すると、茂吉の「おのづと」生み出されるとする「歌言葉」の創出過程にも、創出された言語表現をそれが描く内容と「生」との比較において繰り返し推敲するという行為が暗黙的に含まれていることが指摘できる。そのため茂吉においても、定家における「詞」を対象とした「沈思」と通じる行為が、明言はされないにせよ行われていると考えることも可能である。つまり、両者は――意識の差こそあれ――どちらも少なからず言語表現を自己が向き合うべき対象として捉えているとみることもできよう。

 これらのことを踏まえ、本論のモデルとしては以下のような規定を再確認する。つまり、この〈世界〉のなかに存在する〈あなた〉というものには、「詞」や「歌言葉」と呼称されるような言語表現も含まれる必要がある。また、含まれている言語表現というものは決して具象的なもの――たとえば紙に書かれた文章や歌のような、実体のように位置を占めるもの――だけではなく、抽象的な思考・概念といったものも含まれる必要があるということも、改めて確認されよう。〈あなた〉という対象として、具象的・物質的なもののだけでなく抽象的・非物質的な言語表現および思考・概念をも一元的に扱うことで、茂吉が「実相観入」において一般に対象としていた実情的・現実的なものや、定家が主に「沈思」する対象として挙げていた「詞」という言語表現などの非実情的・抽象的なものも、等しく〈わたし〉が向き合う対象とすることができるだろう。

 モデルにおける共通点(一)と相違点の表現のための設定を確認したが、ここまでの設定により、共通点(二)についてはあと一つの設定を確認するだけで達成が可能である。つまり、この〈世界〉においては〈わたし〉と〈あなた〉が何らかの行為によって関係することができるが、その結果としてこれまで〈世界〉には存在していなかったような新しい〈あなた〉を創出することが可能である。この設定により、共通点(二)が述べるような自己と対象との相互の連関の上に成立するような短歌という作品を、モデルにおいても認めることができるようになる。

 共通点(一)(二)および相違点を解決できるような設定が一通りの確認できたところで、以上のモデルについてまとめよう。この〈世界〉には〈わたし〉と〈あなた〉がいる。〈わたし〉が〈あなた〉に対して何らかの集中を行い、〈あなた〉がそれに応じる。〈わたし〉と〈あなた〉はそのやりとりのなかで互いに影響を及ぼし合い、その様相を変化させてゆく。〈わたし〉と〈あなた〉の関係が深まったところで、また新しい〈あなた〉が誕生する。この〈世界〉において「短歌を詠む」とは、作者という〈わたし〉が、その周りに存在する具象・抽象そして言語表現という多様な〈あなた〉と関係しあいながら、互いに変化し、その関係の最も深まるような共鳴点を見出そうとする行為である。そして短歌とは、〈わたし〉と〈あなた〉の共鳴に生まれる、新しい〈あなた〉なのである。


  *


 茂吉と定家のそれぞれの歌論から、〈わたし〉と〈あなた〉との共鳴に立脚する短歌制作の姿をモデルとして提示した。ここからはこのモデルをもう少し精緻なものにするために、短歌以外の分野からの知見をいくつか援用して、その様相を確認していきたい。

 まずはこのモデルで設定した〈あなた〉という存在について、一体いかなるものなのかという追加検討からはじめよう。モデルにおいて〈あなた〉とは、〈世界〉という場に存在する様々なものであり、具象・抽象を問わず、言語表現などまで含まれるものとした。このような具象・抽象を(ある程度)等しく取り扱うような発想は、近年ではグレアム・ハーマンによるオブジェクト指向存在論などに通じると考えられる。


 徹底的な懐疑の代わりに、素朴な観点から議論を始めよう。哲学が、科学者や銀行員、そして動物たちの生活と共有していること、それは私たちが皆、対象(object)に関わっているという事実である。(中略)そこには物理的でない存在者や実在的でない存在者さえ含まれているはずである。(中略)とはいえ私は(中略)全ての対象は「等しく実在的だ」などとは、一度も主張していない。(中略)私の主張は、全ての対象が等しく実在的であるということではなく、全ての対象は等しく対象であるというものである。

グレアム・ハーマン『四方対象』[25]


 ハーマンはあらゆる対象について、実在的対象・実在的性質・感覚的対象・感覚的性質という四つの極の相互関係の基に理解する存在論を提示する。普段私たちの意識に上っているのは感覚的対象であるが、そこにはその対象についてのその時々の「見え」である感覚的性質だけではなく、様々な感覚的対象を区別しうる実在的性質が存在している。そしてそのような対象の影に「退隠」して実在的対象が存在する。私たちは実在的性質には間接的にしかアクセスできず、また実在的対象はアクセス不可能である。ただし、実在的対象は、間接的な方法でその存在を暗示している。このような四つの極が相互に関係しあい、対象として存在する――極めて大雑把にいえば、ハーマンの存在論はこうした主張である。

 ハーマンの主張をそのまま本論でのモデルに適用できるのか/適用するのかはさらなる熟慮が必要であるが、一方で様々な対象を等しい方法で捉えて論じるという発想は示唆的である。短歌制作という行為においては、決して実在的な対象ばかりではなく、感覚的で実在的ではない対象についても扱っているのが常であり、それらを統一的に論じることができるのは大きな利点となりうる。このような観点にたてば、本論のモデルにおける〈あなた〉とは、〈世界〉において何らかの対象になるうるものと理解することもできよう。

 私たちの認識やそれによって捉えられている世界を、実在的ではない概念的なものまで含めて捉え直すという動きは、近年の認知科学の分野にも見られる。代表的な例として、「プロジェクション」というモデルが挙げられるだろう。


 プロジェクション(投射)とは、従来の人間の認識モデルである、「感覚→知覚→認識」という処理の流れに対して、内部表象を外部の対象に対して投射することで世界を認識するという逆向きの処理の流れを強調する考え方である(鈴木、2016; 2019)。ここで内部表象は必ずしも外の世界の正確なモデルである必要はなく、対象についての個々人の持つ内的イメージである。

(中略)プロジェクションは、自己の内部モデル(内部表象)を世界の対象に対して拡張的に適用することによって、現実とは異なる可能性がある「意味」に彩られた世界を経験することを可能にする。

嶋田総太郎『脳のなかの自己と他者』[26]


 「プロジェクション」においては、私たちの世界とは私たちの「意味」に彩られた世界である。嶋田は「プロジェクション」をまだ検討事項の多いものとしているが、一方で私たちの内部表象を世界という外部に対して投射するという考えは、本論のモデルにおける〈あなた〉や〈世界〉というものを考える際にも多くの示唆を与えるように思われる。私たちは世界の側から与えられたものについて認識しているだけではなく、世界に対して積極的に何らかの「意味」を投げ入れている️️️️️――本論のモデルでいえば、〈世界〉には〈わたし〉が投げ入れるような概念的・抽象的なものも存在している。実在的なものと時に同じように存在しているように思われるそれらを、本論のモデルでは〈あなた〉というそれぞれに等しい存在として理解しているのである。そして本論のモデルにおいては、〈わたし〉の〈世界〉とは、ある〈わたし〉にとっての様々な〈あなた〉たちによってその色彩を変化させる動的な場なのである。


  *


 〈あなた〉についての検討は、翻って対峙する〈わたし〉についての検討にもつながっているだろう。というのも、この〈世界〉において〈わたし〉が存在し得るのは、ひとえに〈あなた〉という存在があってこそであるようにも思われるからである。


(前略)私たちはある考えをまとめ、それを音声に乗せるというだけなら(つまり、単に作用の主体だというだけなら)、あえて「私」と言う必要はないはずです。そこに聞き手がいて、その相手に対して自分を指さし、話者として振る舞ってみせるところに、いわば「私」が出現するのです。「私」とは、ただの主語ではなく、主語としての話者が話者自身に再帰したものと言うべきでしょう。(中略)

 しかも、当然のことながら、本当の会話は、私の相手もまた話者になりうる場合にしか成り立ちません。つまり、会話の成立には、私にとって「君」や「あなた」である人が自分では自分を「私」と呼ぶのだ、ということの理解が必要です。したがって、「私」や「君」は、誰か特定の人の呼称ではなく、誰もが会話のなかでそのつどの役割としてそうなるのです。

木田元須田朗編『基礎講座 哲学』[27]


 ここで重要な点は、まず「私」という発話に際しては、単に主体であることのほかに、その発話を聞きうる他者の存在が必要となるとしている部分である。日常の場面などを思い出してみてもわかるが、私たちは普段「私」ということを常に意識しているのではない。「私」が現れるのは、何かしらの特殊な場面――特に何か「私」以外の何者かと邂逅し、その何者かに対して自身を示すような場面️――においてなのである。さらにいえば、「私」や「君」という語は、あくまでも特定の対象を指すのではなく、誰もがその役割になりうるものという指摘も重要なものと考えられる。

 本論のモデルにおいては、〈わたし〉とは何らかの行為の起点であるとしていたが、ここに至ってはさらに加筆が必要となるだろう。〈わたし〉とは、あくまでも〈あなた〉という存在と対になって登場するほかない存在である。そしてその前提の上で、いま何者かに対峙している自分自身が、目の前の何者かとは別個に存在しているということを理解し、何らかの行為の起点になりうると自覚したときに、〈わたし〉という存在として成立するのである。そして〈わたし〉は自覚している自分自身にとっては確かに〈わたし〉なのだが、それと同様に〈わたし〉のほかのさまざまな〈あなた〉もそれぞれにとっての〈わたし〉を持ちうることを理解しているのである。

 普段は意識していない存在が何かの拍子に急に意識されるようになる、という発想はハイデガーによる道具分析を連想させる。先述のハーマンによるオブジェクト指向存在論においては、まさにそのようにハイデガーによる道具分析を援用しながら️――ペンが壊れたときにその「ペン」という存在が急に強く意識されるような形で――「私」という存在もまた道具存在のように意識されるということを主張し、そのような「私」とは各々の対象それ自身のみが占めることができるような存在であるということが指摘される[28]。ここにおいては、「私」もまた対象の一つであると捉えており、それが他の対象と異なっているのは、「私」という対象がその対象自身にとっては特異な存在であるという点のみにおいてなのである。この点においては、本論のモデルでも概ね同様の主張となると言える。本論のモデルの〈世界〉においては、その多数を占めるのは〈あなた〉なのであり、〈わたし〉とはそのような〈あなた〉と共通の性質を有しながらも唯一それ自身にとっての特殊な存在となりうるという自覚を持った存在なのである。

 また、ハイデガーやその師であるフッサール、あるいはその系譜に連なるメルロ=ポンティにおいては、自己の本質とは「われ能う」にあるという発想が息づいていたということも示唆的である。つまり、ある存在が運動や行為によってさまざまな対象との関係を結んでいく可能性を有しているということが、存在の自己にとって重要な要素であると捉えていたのである。これらの発想を引き継いだギャラガーは、自己を自己だと感じとる際の最も基本的な自己感として、「この身体はまさに私の身体だ」と感じる身体所有感と「この行為をしているのはまさに私だ」と感じる運動主体感の二つがあると指摘したが、近年の認知科学の分野においてもこのような身体所有感と運動主体感が自己の成立に大きく関わっているという報告がされている[29]。これらのことを踏まえるなら、本論のモデルにおける〈わたし〉についても、その〈わたし〉自身の行為の可能性こそが〈わたし〉を成立せしめているとするのが適切であろう。本論のモデルの〈世界〉において〈わたし〉は〈あなた〉とは別個の特殊なものであるが、そのような感覚は、〈わたし〉にとっては〈わたし〉こそが行為の起点であるのだという自覚によって成立しているのである。そのような意味において、このモデルでは〈わたし〉とは確かに行為の起点である必要があると言える。

 認知科学における自己認識についてのいくつかの知見は、〈わたし〉という存在についてさらに示唆を与えるものがある。特に興味深いのは、ラバーハンド錯覚[30]やフルボディ錯覚[31]などの報告である。これらは自身の身体以外のものについて、あたかも自身の身体であるかのように感じる錯覚であるが、このような錯覚の存在からは、私たち自身が感じている自己が、実は一般的な私たち自身の肉体からさらに延伸しうるものであるということが考えられる。嶋田総太郎はこのような錯覚について、メルロ=ポンティのシグナルとシンボルという行動についての考え方を参照しながら、ヒトが道具の使用などによるシンボル化を適切に処理できるようになったことで、道具を「着脱可能な身体」として獲得し、必要なときにその身体を拡張できるようになったと述べる[32]。ここまでの本論のモデルにおいては、〈わたし〉とは必ずしもシンボルを処理しきれる存在であるとは限定していなかったが、一方で短歌制作を行う存在が〈わたし〉として想定される場合には、〈わたし〉は確かにシンボルについて処理可能な存在であるということになる。〈わたし〉がそのような行為が可能な〈わたし〉である場合には、「着脱可能な身体」によって延伸された〈わたし〉を獲得するということもまた見出されることであると考えられる。そのように考えるならば、このモデルの〈世界〉においても、〈わたし〉は時として非常に曖昧な境界の上に成立するものであるとも言えるのである。


  *


 ここまでモデルにおける〈あなた〉そして〈わたし〉について見てきた。それでは、このような〈あなた〉そして〈わたし〉がどのように「短歌を詠む」という行為に関わってくるのだろうか。本論のモデルは「短歌を詠む」という創作行為を「新しい〈あなた〉の創出」という形で捉えているが、本章では最後にそのような文脈で導入されていた「新しい〈あなた〉の創出」について考えたい。

 本論でのモデルに見られるような、双方向的な作用のなかから新しい対象が創出されるという発想は、ここまで引用に挙げてきたオブジェクト指向存在論やプロジェクションにも登場する。オブジェクト指向存在論では対象と対象とが対峙したときにその両者の性質を内在するような第三の対象が生み出される作用を「因果」として認めているし[33]、プロジェクションにおいては主体の内部から外部の環境へと向かう方向の作用だけではなく、外部の投射した対象の状態が主体の内部の状態に作用するバックプロジェクション(逆投射)も存在し、それらのサイクルが重要であるとされている[34]。このような双方向的な作用による創出の作用を、さらに制作行為という活動の方向に推し進めて考察したものには、ティム・インゴルドによる『メイキング』が挙げられる。


要するに本書のいわんとしているのは、つくることは作者と素材のあいだの相互作用《コレスポンダンス》であり、芸術と建築同様、人類学と考古学の分野でもこのことはあてはまるということだ。

ティム・インゴルド『メイキング』[35]


 インゴルドは「つくる」という行為を成長の過程と捉え、ものをつくるというプロセスのなかで作り手自身も能動的に変化しながら、その素材と「力を合わせる」という視点を提示する。この視点では、作り手自身の役割は「作品を生みだす物質の力や流れに従うこと」にあり、作品について観るとは「アーティストの旅の道連れになり、作品がこの世界で展開していくのを作品とともに《﹅﹅﹅》見ること」なのだとされる。そのうえで、例えば複数の奏者によって成立する音楽が「ここにあるのでも、そこにあるのでもなく、それらのあいだに生じる」ように、「運動の最中にあり、対位法の旋律のように互いに絡まりあう線を描く」コレスポンダンスという作用を創作行為に見出す。私たちが世界とコレスポンドするということは、「感覚的な意識と、生気にあふれた命の流れやほとばしりが混ざり合うこと」であって、「このような結合では感覚と素材が互いに結びつき、撚り合わさって、恋人たちの視線のようにお互いの区別がつかなくなってしまう」という。そして「このような結合こそ、つくることの本質なのである」と結論づける[36]。

 インゴルドの主張において特に示唆的であると感じられるのは、作り手と素材とは決して主従の関係にあるのではなく、互いに影響を及ぼし合いながらその様相を変化させて、「力を合わせる」ことで「それらのあいだに」制作物を創出するという視点である。このような視点は、本論のモデルにおいても〈わたし〉と〈あなた〉との共同での新しい〈あなた〉の創出という発想に援用可能であろう。短歌制作という言語表現を中心とした制作行為においては、ある主体と単一の素材という二者のみに閉じたネットワークよりも、ある主体と実在的な素材、そして抽象的な概念・言語表現といったものとの、複数とで構成されるネットワークが関与するという状況の方が一般的であると思われる。ここにおいては作り手と素材との相互作用《コレスポンダンス》とだけ述べるよりはいささか実態としては複雑であるが、一方でインゴルドの例においても複数の奏者の演奏からひとつの音楽が「それらのあいだに」作り出されていたように、ネットワークが複雑であるからといってある制作物が「それらのあいだに」創出されるという構図は揺るがない。このような観点を踏まえるなら、本論でのモデルにおいて、〈わたし〉と〈あなた〉ないしは〈あなた〉たちとのネットワークに新しい〈あなた〉が生み出されるとする発想もまた、許容されるものであると言える。

 本論のモデルにおいては、「短歌を詠む」という制作行為を、〈わたし〉と〈あなた〉との間で、「その関係の最も深まるような共鳴点を見出そうとする行為」と位置付けるが、これはここまでの議論を踏まえて以下のように考えられよう。「短歌を詠む」という制作行為を行うにあたり、〈わたし〉はさまざまな〈あなた〉とのネットワークを構成する。〈わたし〉はそのネットワークのなかで、ときに大きな制作の軸として単一の〈あなた〉への志向を持ちはするが、それと同時により精緻に見ればそのほかの〈あなた〉ともさまざまな方法で互いに関係しあう――たとえば、ある具体や抽象に向かいながら、同時にそのほかのものとしての言語表現とも関係しあい、そのそれぞれからさらに新しい言語表現や抽象を生み出し、さらにそれらを関係づけていくというように。このように動的なネットワークのうえで、〈わたし〉と〈あなた〉は常にそのあいだに新しい〈あなた〉を生み出し続け、そのネットワークを繰り返し更新し、また〈わたし〉や〈あなた〉自身の状態をも変化させていく。このような絶え間ない更新のなかで、当初に抱いた大きな軸としての〈あなた〉や、あるいは更新のさなかで生まれた新しい〈あなた〉に至るのに、〈わたし〉はさまざまなネットワークの経路のうちから、ある特定の経路を選び出すことができる。このように選び出された経路が、〈わたし〉にとって最も好ましく明瞭に〈あなた〉の姿を与えるものであるとき、その経路こそが共鳴のための経路であり、そこに見出される〈あなた〉の姿こそがひとつの共鳴点であり短歌なのである。

 このモデルの見方を採用するときには、短歌について「読む」という行為も、「詠む」という行為と多くの点で共通の行為であるということもまた同時に見出されるであろう。〈わたし〉は「短歌を詠む」という行為のために常にネットワークのなかの経路について評価を行うことになるが、それはまさにある〈あなた〉について「読む」という行為に重なる。つまり、〈わたし〉が短歌という〈あなた〉について「詠む」とき、〈わたし〉は常に生み出される短歌やその前段階の言語表現などの〈あなた〉を「読む」行為のなかにある。そして翻って、〈わたし〉がある短歌について「読む」という行為を試みるときもまた、〈わたし〉はその短歌という〈あなた〉とのあいだに何らかの新しい〈あなた〉を生み出しながら「読む」のであり、それは「詠む」という行為に重なる。つまり、〈わたし〉が短歌という〈あなた〉について「読む」とき、〈わたし〉は常に生み出される短歌やその前段階の言語表現などの〈あなた〉を「詠む」行為のなかにある。かくして、短歌について「詠む」ことと「読む」ことは、ひとつの共鳴点を〈さぐる〉という行為として統合される。言い換えれば、共鳴点を〈さぐる〉という行為の、ネットワークにおける生成の側面を強調するのが「詠む」ことであり、評価の側面を強調するのが「読む」ことなのである。

 かくして本論のモデルは次のように主張する――短歌制作とは、この〈世界〉において〈わたし〉と〈あなた〉が、互いに影響を与えながら、その関係の最も深まる共鳴点を見出す行為である。ここにおいて短歌とは、〈わたし〉と〈あなた〉の共鳴に生まれる新しい〈あなた〉である。そしてそのような短歌を「詠む」ことと「読む」ことは、共鳴点を〈さぐる〉という行為として統合されるのである。


Ⅳ:短歌の諸議論に対する共鳴モデルからの返答


 前章までで、私たちは短歌制作についてのモデル――〈わたし〉と〈あなた〉による共鳴を軸とした短歌制作の姿を素描してきた。本章ではそのモデルを、短歌におけるいくつかの議論に対して適用することを通じて、さらにモデルの細部を見定めるとともに、そのモデルとしての有効性の確認を試みる。


  *


 まず、短歌における定型️――五・七・五・七・七による計三十一拍を基調とした制作上の制約について検討したい。本論のモデルは、ここまでこの定型について明示的には述べていなかったが、一方で短歌というものを考えるうえでこの定型という制約についての意識を取り扱うことは避けられないと考えられるためである。

 短歌の定型について、その形式が大まかには先に述べた「五・七・五・七・七による計三十一拍」という認識であることは、多くの場合了解される。その一方で、その形式をどのように意識するかについては人により多くの差異がある。例えば佐藤佐太郎が『純粋短歌論』において述べたような、三十一音という形式について字余り・字足らずさえも許容しないという厳格な作歌態度をとる場合️から、字余り・字足らずをある程度許容するという態度、さらには字余り・字足らずを積極的に導入して一見短歌形式とは掛け離れたものも許容する態度まで、実にさまざまな態度があるのである。

 定型という形式に対してどのような態度をとるのが正しいのかということについては、ここではいかなる判断を行うつもりもないし、個々の作者や読者にとってのそれぞれの信念があるという見方で十分であろう。一方で、短歌という詩を考えるときに、そのような定型という形式に対する意識からは離れることができないということは、いずれの態度をとる場合においても明らかであり、より短歌において扱うべき本質的な性質であると考えられる。


 私たちが今考えようとしているのが、「短歌における批評」ということであってみれば、他の文芸とは違った「短歌にのみ固有な何か」が、そのようなコードの最有力候補として浮かび上がってこざるを得ないが、すでに他の文章においても何度も述べているように、私はそれを、短歌における定型性に求めたいと思っている。

永田和宏「『問』と『答』の合わせ鏡Ⅱ:批評とは何か」[37]


 永田和宏は「短歌にのみ固有な何か」を「短歌における定型性」に定める。これは「短歌における批評」についての文章ではあるが、永田の考えが「『問』と『答』の合わせ鏡」という発想を通じて「なぜこの詩型を選ぶのか」という問いかけに対しての回答となっていることも踏まえるなら、このような短歌における固有なものをその定型性に見るという感覚は、批評にとどまらず制作の際にも意識されるものであると言えるだろう。

 私たちが短歌について考えるとき、私たちは少なからず短歌における定型を意識せざるを得ない。そのことを本論のモデルでは以下のように実現できよう。〈わたし〉が短歌について〈さぐる〉とき――つまり、「詠む」ときや「読む」とき――その側には、常に「五・七・五・七・七による計三十一拍」という短歌定型という〈あなた〉がおり、またいなければならない。〈わたし〉はその定型という〈あなた〉とも関係しあい、またそのような関係によって自身の構築する〈あなた〉たちとのネットワークを短歌という共鳴創出の場として捉えるのである。そして〈わたし〉と定型という〈あなた〉のあいだには、さらにさまざまな〈あなた〉が生み出されるのであり、それらのバリエーションがつまりは現実において見られるような個々人にとっての定型という形式に対する意識の差異となって感じられるのである。


(註:塚本邦雄「いたみもて世界の外に佇つわれと紅き逆睫毛《さかまつげ》の曼珠沙華」について、上句と下句との呼応を指摘しながら)このような上句と下句の円環、「問」に対する「答」があり、「答」がさらに新たなる「問」となって、はじめの「問」そのものを問いかえすような、それを私は「問」と「答」の合わせ鏡構造と呼んだのであったが、その合わせ鏡構造こそ、私にとって短歌定型のもつ最大の魅力とも言えるものなのだ。「問」として最初に作者に喚起されたものが、その「答」と「問」の位相を次々と変えつつ、一枚の鏡だけでは決して見ることのできないような合わせ鏡の奥の奥まで私たちを誘ってくれることを、そしてその無限に続く扉のむこうにかすかに、しかし確かに光るもののあることを、私たちはアリスのような好奇心と確信をもって、定型にむかうほかないのだ。

永田和宏「相対化の鏡:定型意識の現在性」[38]


 永田による「合わせ鏡構造」を、本論のモデルは〈わたし〉と〈あなた〉による共鳴として引継ぎ包括したい。本論のモデルでは、短歌における定型という形式もまた、〈わたし〉に対する〈あなた〉という存在である。そのような定型という〈あなた〉は、より精緻にみれば上句と下句という二つの〈あなた〉によって生み出されているのである。〈わたし〉はそのような定型という〈あなた〉と常に共にあり、そしてまたさらにその他のあらゆる具象・抽象といった〈あなた〉との呼応を繰り返しながら、そのネットワークのなかに、最も好ましく明瞭な〈あなた〉として、短歌が立ち上がる共鳴の経路を見出していくのである。

 定型という〈あなた〉によって、あるネットワークが短歌についての場となるとき、その定型という〈あなた〉は常に短歌とともにあり、また短歌制作を行う〈わたし〉と共にある。その意味で、短歌という〈あなた〉やそれを制作し読解しようとする〈わたし〉は、決して孤立したひとりではない。短歌や〈わたし〉は、定型という〈あなた〉によって、常に〈わたしたち〉️――〈わたし〉と〈あなた〉からなる有機的なネットワーク――となっているのである。


  *


 私見では、斎藤茂吉の作品を頂点とする、このような近代短歌的なモードを支えてきたものは「生の一回性」の原理だと思う。誰もが他人とは交換できない〈私〉の生を、ただ一回きりのものとして引き受けてそれを全うする。一人称の詩型である短歌の言葉がその原理に殉じるとき、五七五七七の定型は生の実感を盛り込むための器として機能することになる。

穂村弘「モードの多様化について」[39]


 もっと調べないとめったなことは言えないけれど、近代の短歌を完成させてその後のあらゆる変革を呑み込み、短歌の外側にいる人の頭に?マークを浮かばせる特有の磁場を作り上げた人、現在まで通用している短歌のOSを書いた人間、それがどうも土屋文明みたいなのだ。

永井祐「土屋文明『山下水』のこと」[40]


 近代短歌の成立において特徴的であったことは、「われ」という自我による固定化された視点を手に入れたことであったということが、多くの論者によって指摘されている。そしてそれらをさらに推し進め、穂村のいうところの「生の一回性」という近代短歌のモードを形成し、永井のいうところの「短歌のOS」を書いたのが、斎藤茂吉土屋文明らに代表されるようなアララギ派の作品や評論であったことは多くの場合了解されうることと思われる。しかし一方で、このような近代短歌のモードあるいはOSを作り上げることになったのがアララギ派の作品であったのはなぜなのだろう?

 「われ」という視点を導入したという意味であれば、例えば明星派などのアララギ派以外の作品群によるところも大きかったはずである。もちろん、明治から大正における写実主義自然主義の台頭という、短歌内外の状況的要因なども多分にあろう。しかしそれでもなお、明星派のような浪漫性・空想性にあふれた作品群ではなく、アララギ派が掲げた「写生」に沿って制作されてきた作品群が、近代短歌とほぼイコールで結ばれるほどに成功を収め得たということについては、まだまだ短歌という詩型の性質を考えるための鉱脈を多く宿しているように思えてならない。

 穂村弘は近年のインタビューにおいて、先に挙げた「生の一回性」について述べる場面で、次のように指摘している。


(註:正岡子規「真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり」および斎藤茂吉「あかあかと一本《いつぽん》の道《みち》とほりたりたまきはる我《わ》が命《いのち》なりけり」について挙げて)でも、「星」とか「一本の道」って、歌謡曲みたいですよね。ひとは死んだら「星」になるとか、人生は「一本の道」のごとしとか、短歌の外部にも通用する大きな感情の型みたいなものがあります。茂吉はその型をはずして、よりトリビアルな、例えば眼の前を飛ぶ一匹の蠅でも名歌が作れるんだというほうにもって行った。

「インタビュー 穂村弘 〈近代短歌〉は終わらない」[41]


 ここに挙げられている「星」や「一本の道」といった語彙を見て、私はその語彙の歌謡曲との親和性の高さ――どこか個々人の理想・空想に訴えかけるような姿から、語彙だけならどこか明星派に通ずるようなものを感じる。そのように考えるなら、茂吉の何が明星派のような他の流儀と異なっていたのかと言えば、それは語彙ではなく、穂村が指摘するところの「トリビアル」――本来であれば取るに足らないようなものを拾い上げて歌として結実させて見せる方法意識において異なっていたということもできよう。

 トリビアルなもの――これは「われ」という自我が単に存在しているのみでは見出すことのできないものではないだろうか。例えば穂村は、「〈リアル〉であるために」という文章の中で短歌のリアリティについて検討しているが、そのなかで「うめぼしのたね《﹅﹅》おかれたるみずいろのベンチがあれば しずかなる夏」(村木道彦)を引用しながら、「ベンチ」に置かれるのが「うめぼしのたね《﹅﹅》」という「我々の意識の死角に入っているような言葉」であることこそが、この一首のリアリティに繋がっていると指摘する[42]。「われ」という自我に重きを置き、その思考や意識の操作の届く範囲のみで語彙を探すのであれば、おそらくこの「うめぼしのたね《﹅﹅》」はなかなか見つからないだろう。もちろん、非常に細やかな想像力の働きによって「うめぼしのたね《﹅﹅》」というものに到達することは不可能ではないし、「うめぼしのたね《﹅﹅》」が事実である必要もないのであるが、一方でこの歌の類まれなリアリティが――例え演出としてでも――称賛される場合には、その「われ」の視点から見つからないものを見つけ出したという点において称賛される部分が大きいのである。

 「われ」というものがなぜその意識の上に「死角」を持ちうるのかといえば、それは「われ」のみで想起するのでは、必ずその意識の及ぶ範囲には限界があるからである。「われ」という単一の意識にのみ絞って、そこに生じる思考や想像のみによって何かを探そうとすると、「われ」はどうしてもそのとき「われ」の内にすでにあるものやあったもののみを利用せざるを得ない。そして、そのなかにかつて存在していなかったものは、そもそもその存在自体思考することができないのである。

 「われ」のみでは容易には見つからないものを見つけるためには、どうしたら良いのか。取りうる方法のひとつは、それを「われ」の内に探すのではなく、「われ」の外に〈出会う〉というものである。「われ」のみで在ろうとすることの限界を引き受け、「われ」ならざるものの世界のなかに自身を置く。そのことによって「われ」以外のものと協力しながら、「われ」を超えるのである。

 「われ」の外の世界とは何か――一番プリミティブな回答は、「いま私たちのいる現実」となろう。ここにおいて「われ」とは、この現実のなかに存在している作者自身としての私である。私はこの現実のなかで、実にさまざまなものに〈出会う〉。畦道を歩けば土や葉の光の加減に目を止めるし、町に至れば思わぬところで見知った顔に再会する。それらはそれまで私の意識には上っていなかったような予測不可能なものであるが、しかし〈出会う〉というその瞬間に私の目の前に色鮮やかに現れて、様々な姿を見せてくれる。私はその様相を細やかに観察するように心がける️。

 「われ」の意識を外の世界の観察に向ける――それはつまりプリミティブな意味での写生であると言えるだろう。私が思うに、他の諸派ではなく、写生の概念を掲げたアララギ派の作品群が「近代短歌のモード」や「短歌のOS」と呼ばれるほどにまで発展を遂げたのは、こうした観察という行為を通じて予測不可能なものをも作品内に取り込む叙述が比較的容易に可能であったからである。それはおそらく、方法論として「われ」のみでの短歌制作を脱しやすかった。「われ」を単一の視点としながらも、その視線の先に外界を常に見定めていたことで、予測不可能な外界に〈出会う〉という形で「われ」に閉じない短歌制作を可能としたことに、その他諸派以上のアドバンテージがあったのである。

 「われ」に閉じない世界とは、つまり「われ」が思考する以上のさまざまな他者の存在を感じとることのできる場である。本論のモデルもまたそのような〈世界〉を提示する。この〈世界〉には、〈わたし〉だけではなく、実にさまざまな〈あなた〉もまた存在する。〈わたし〉は、ときに思いがけず〈あなた〉に〈出会う〉。そのことによって、〈わたし〉が感じ取っている〈世界〉はさらにその豊かさを増していく。そして〈わたし〉は、ときにそのなかに当初予測もしていなかった〈あなた〉との経路を見出す。さまざまな〈あなた〉と〈出会う〉ことで、経路の予測不可能性は加速度的に増大していくが、そのような予測不可能な経路もまた短歌の成立する場となり得るのであり、またときに非常に大きな強度を持った共鳴を発生させることも可能である。

 本論のモデルは、短歌史においてアララギ派の作品群がここまで浸透した作品制作上の様相をこのように〈出会う〉という作用によって説明する。そしてこのモデルにおいては、さまざまな作品に見られるリアリティについても、〈わたし〉と〈あなた〉とのあいだの経路の予測不可能性や共鳴として表現されるのである。


  *


 「この現実のなかに存在している作者自身としての私」と述べたが、一方で短歌やその制作における〈わたし〉とは、必ずしもそのまま作者自身であるとは限らない。


 〈現実〉と〈事実〉は、「そこにあるもの」の「そこ」へ居合わせた人のほぼ全員が把握することのできる現象のことであるが、〈真実〉は、現象として立ち上がることの殆どないものである。(中略)〈真実〉を視ようとするとき、「そこ」には個人的な「われ」から完全に離脱した新しい「われ」が生まれる。「そこ」に特別な視点《●●●●●》を持つ「われならぬわれ」が誕生するのである。

井上法子「〈視る〉ことのメトード――塚本邦雄『水葬物語』から『青き菊の主題』まで」[43]


 レベル①「私」…一首の背後に感じられる「私」(=「視点の定点」「作中主体」)

 レベル②「私」…連作・歌集の背後に感じられる「私」(=「私像」)

 レベル③「私」…現実の生を生きる生身の「私」(=「作者」)

大辻隆弘「三つの『私』――近代短歌の範型」[44]


 井上の指摘は主に短歌制作の立場から、大辻の指摘は主に短歌読解の立場からという違いはあるものの、どちらにも「この現実のなかに存在している作者自身としての私」というだけには止まらない「われ」「私」の姿が現れている。こうした作者という現実世界の個人とは異なる位相での「われ」は、前衛短歌以降より鮮明となり、その傾向は今日にも大きな影響を及ぼしていると言えるだろう。

 井上が指摘するような、前衛短歌における「われならぬわれ」とはつまり、作者という現実における「われ」とは異なる立ち位置に立つ存在のことを指す。そして「われならぬわれ」による短歌は、そのような「特別な視点《●●●●●》」から見えるものを描き出す。ここで注意すべきは、「われならぬわれ」という「特別な視点《●●●●●》」から描き出される短歌でさえも、最終的にはその「われならぬわれ」の基となる「われ」の存在に回収される必要があるということである。たとえば、塚本邦雄や葛原妙子などの前衛短歌における歌人は「われならぬわれ」と読めるような作品を多く持つが、そのそれぞれの作品は、他の誰でもなく塚本邦雄や葛原妙子など現実におけるそれぞれの作者の判断によって制作されるほかない。つまり「われならぬわれ」は、「われ」と完全に分断されているようなものではなく、常に「われ」の側から見られている《﹅﹅﹅﹅﹅﹅》。そして「われならぬわれ」の視点から描き出されている対象や短歌についても、常に「われ」は「われならぬなれ」を見透かしながら《﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅》見ている。現実における「われ」という作者が判断しつつ、「われならぬわれ」としての作品を制作できるのは、このような構図があるからにほかならない。

 このような「われ」による「われならぬわれ」を見透かした《﹅﹅﹅﹅﹅》短歌制作は、本論のモデルでは以下のように説明される。〈わたし〉はさまざまな〈あなた〉を〈わたし〉の視点から見て触れることができる。一方で前章で指摘していたように、〈わたし〉とはその境界が実は曖昧なものであり、場合によっては「着脱可能な身体」のように延伸されうるようなものである。これはつまり、〈わたし〉とはその触れられる〈あなた〉を取り込むような形で、より拡張された〈わたし〉となることができることを意味する。このとき拡張された〈わたし〉は、元々は〈あなた〉のものであった、本来の生身の〈わたし〉にはなかった視点を有することができる。言い換えれば、生身の〈わたし〉から見れば特定の〈あなた〉を経由する形で、また別の〈あなた〉を見るようなことが可能になるのである。「われならぬわれ」による短歌制作とは、そのような拡張された〈わたし〉――〈あなた〉を通して別の〈あなた〉を見透かしている生身の〈わたし〉――による短歌制作なのである。

 大辻が指摘するような、短歌読解上のさまざまな「私」についても、本論のモデルでは短歌制作に見られたような見透かす《﹅﹅﹅﹅》という構図――〈わたし〉がその他の〈あなた〉を通してその先に別の〈あなた〉を見るという方法――によって、同様に説明できるだろう。

 まず読解の際には、〈わたし〉はある短歌という〈あなた〉と向かい合う。そしてそのあいだに、さまざまな解釈や概念などの抽象的な〈あなた〉を生み出しながら、〈わたし〉はもとの短歌に至るのに最適と思われる経路を見出そうとする。このとき〈わたし〉は、生み出された〈あなた〉を通して短歌という〈あなた〉を見ているが、これはまさに見透かす《﹅﹅﹅﹅》という構図にほかならない。このような読解行為のなかで見透かされる《﹅﹅﹅﹅﹅﹅》〈あなた〉のなかには、大辻の指摘する「レベル①『私』」の存在を見出すこともできるだろう。場合によっては、「レベル①『私』」を表す〈あなた〉とのやりとりの中で、さらに「レベル③『私』」を推測し新しい〈あなた〉として生み出すようなことも可能であると思われる。

 また、〈わたし〉が延伸可能であったのと同じように、この〈世界〉においては〈わたし〉が出会っている〈あなた〉もまた延伸可能であるだろう。このとき、たとえばある一首の短歌という〈あなた〉は、また別の短歌という〈あなた〉と出会い、またさらに別の〈あなた〉と出会い……と出会いを繰り返すことで、連作や歌集といった拡張された〈あなた〉となることが可能である。このように拡張された〈あなた〉との出会いは、〈わたし〉にとっては個別の〈あなた〉に出会うのとはまた違った〈あなた〉を生み出す契機になるであろう。というのも、〈わたし〉は拡張された〈あなた〉を見るとほぼ同時に、そのなかのある特定の一首としての〈あなた〉をさまざまな〈あなた〉の経路から見透かしながら《﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅》見ることができるからである。そしてこのとき生成される〈あなた〉のなかには、大辻の指摘する「レベル②『私』」や、さらに別の見え方をする「レベル③『私』」なども存在することになるだろう。

 以上のように考えれば、本論のモデルは〈わたし〉と〈あなた〉による生成と拡張の作用によって、短歌制作や短歌読解における「われ」や「私」のさまざまなありようを表現することが可能であると言える。〈わたし〉や〈あなた〉は、新しい〈あなた〉を生成し、また同時に自身を拡張する。時に見透かし《﹅﹅﹅﹅》、時に拡張された全体として意識しながら、〈わたし〉と〈あなた〉が関わりあって短歌の制作と読解は成立している。短歌における「われ」「私」とは、そのような〈わたし〉と〈あなた〉の構図の上に現れるのである。


  *


 本章では、ここまでいくつかの短歌に関連した議論について取り扱い、そこに本論で検討しているモデルを持ち込んだ。それによってモデルのさらなる細部の見極めを行うと同時に、諸議論に対して本論のモデルがどの程度有効に見解を示せるかを確認してきた。モデルの主張に関係すると思われるような複数の議論において、既存の議論と乖離しない結果が得られていること、またところによっては既存の議論のいくつかを統合的に説明可能であったことなどから、本論で検討してきたモデルは素案として制作や読解といった短歌の実践においてある程度の有効性を持つものであると思われる。


Ⅴ:結言


 本論では藤原定家による「有心体」および斎藤茂吉による「実相観入」という二つの歌論を止揚し、それらを統一的に説明する短歌制作のメンタルモデルの素案を検討した。またモデルについて、近年の哲学・認知科学など短歌以外の領域からの知見を援用して補強を行った。その上で、モデルを再度短歌の諸議論へ適用してみせることで、モデルの細部の見極めおよび有効性の確認を行った。以上により、本論で検討したモデルは短歌実践においてある程度の有効性をもって活用することが可能であると考えられる結果を得た。

 本論で検討したモデルは、短歌制作を以下のように説明する。この〈世界〉には、〈わたし〉とさまざまな〈あなた〉が存在し、相互に関係している。「短歌を詠む」ということは、〈わたし〉と〈あなた〉とのあいだに新しい〈あなた〉を生成する共鳴点を〈さぐる〉行為であり、短歌とは〈わたし〉と〈あなた〉の共鳴である。

 このようなモデルから見出される短歌制作の姿とは、決して単に人間である作者が何らかの実在的・実情的なものに向かって副次的にその表現を生み出すという姿ではない。そして、何らかの非実在的・非実情的なものに向かって表現を生み出すという姿でもない。そこにあるのは、〈わたし〉も〈あなた〉も、あらゆる存在が相互に関係しあい、それぞれが何かを生み出す力を持っている、有機的な〈世界〉における協働としての短歌制作のあり方である。


花に鳴く鶯《うぐひす》、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地《あめつち》を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男《をとこ》女のなかをもやはらげ、猛《たけ》き武士《ものゝふ》の心をもなぐさむるは、歌なり。

紀貫之「仮名序」[45]


 本論のモデルは、短歌制作を〈わたし〉と〈あなた〉による共同制作の過程と捉え、万葉集古今和歌集といった古代から連綿とつづいてきた短歌制作の営みを読み替える。定家の「有心体」および茂吉の「実相観入」の両者を止揚し、さらに考察を進めて得られた本論のモデルに現れるのは、〈わたし〉と〈あなた〉の共鳴という、動的かつ双方向的なひらかれた短歌制作の姿である。




[1]佐伯梅友校注『古今和歌集』(岩波書店、一九八一年)に拠る。

[2]安田章生『藤原定家研究 増補版』(臨川書店、一九七五年)などに拠る。

[3]久松潜一・西尾實校注『日本古典文學大系65:歌論集 能楽論集』(岩波書店、一九六一年)に拠る。

[4]『斎藤茂吉全集』第九巻(岩波書店、一九七三年)に拠る。なお、引用にあたって漢字表記については文意が変わらない範囲で適宜旧字体から新字体に改めた。

[5]近年では、久保田淳「定家、そして子規・茂吉」(「ちくま」二〇一七年九月号所収)、村尾誠一「藤原定家写生論――正岡子規を視座に――」(東京外国語大学総合文化研究所「総合文化研究」第23号(二〇一九年)所収)など。

[6]前掲註[3]

[7]安田章生『藤原定家研究 増補版』(臨川書店、一九七五年)に拠る。

[8]前掲註[7]

[9]田中裕「有心の課題:定家歌論研究(四)」(大阪大学国文学研究室「語文」第28輯(一九六八年)所収)に拠る。

[10]伊達立晶「藤原定家の『歌つくり』と『歌詠み』について:創造と表現との相違」(大阪大学大学院文学研究科「待兼山論叢 美学篇」第29号(一九九五年)所収)に拠る。

[11]前掲註[4]

[12]前掲註[4]

[13]前掲註[4]

[14]和辻哲郎『偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集』(講談社、二〇〇七年)に拠る。初出は「新小説」(一九一七年四月)。

[15]『斎藤茂吉全集』第十巻(岩波書店、一九七三年)所収。なお、引用にあたって漢字表記については文意が変わらない範囲で適宜旧字体から新字体に改めた。

[16]篠弘「『深処の生』を求めて」(角川「短歌」二〇一二年五月号)に拠る。

[17]斎藤茂吉『短歌初学門』(未刊、前掲註[15])に拠る。

[18]前掲註[17]

[19]前掲註[16]

[20]本林勝夫『斎藤茂吉の研究:その生と表現』(桜楓社、一九九〇年)に拠る。

[21]前田知津子「斎藤茂吉写生説の形成―ニーチェの芸術観との関連において―」(日本比較文学会比較文学」第54号(二〇一一年)所収)などに拠る。

[22]斎藤茂吉源実朝雑記」(前掲註[4]所収)に拠る。

[23]斎藤茂吉「定家の歌小観」(『斎藤茂吉全集』第十一巻(岩波書店、一九七四年)所収)に拠る。なお、引用にあたって漢字表記については文意が変わらない範囲で適宜旧字体から新字体に改めた。

[24]前掲註[17]

[25]グレアム・ハーマン『四方対象:オブジェクト指向存在論入門』(岡嶋隆佑監訳、山下智弘・鈴木優花・石井雅巳訳、人文書院、二〇一七年)に拠る。

[26]嶋田総太郎『脳のなかの自己と他者:身体性・社会性の認知脳科学と哲学』(日本認知科学会編「越境する認知科学1」、共立出版、二〇一九年)に拠る。

[27]木田元須田朗編『基礎講座 哲学』(財津理・村岡晋一・福田收・後藤嘉也・滝浦静雄著、筑摩書房、二〇一六年)に拠る。

[28]前掲註[25]

[29]前掲註[26]

[30]Botvinick, M., Cohen, J. (1998) Rubber hands ‘feel’ touch that eyes see. Nature, 391, 756.

[31]Ehrsson, H. H. (2007) The experimental induction of out-of-body experiences. Science. 317, 1048. のほか Lenggenhager, B., Tadi, T., Metzinger, T., Blanke, O. (2007) Vide ergo sum: Manipulating bodily self-consciousness. Science. 317, 1096-1099 などが報告している。

[32]前掲註[26]

[33]前掲註[25]

[34]前掲註[26]

[35]ティム・インゴルド『メイキング:人類学・考古学・芸術・建築』(金子遊・水野友美子・小林耕二訳、左右社、二〇一七年)

[36]前掲註[35]

[37]永田和宏『表現の吃水:定型短歌論』(而立書房、一九八一年)所収に拠る。

[38]前掲註[37]

[39]穂村弘『短歌の友人』(河出書房新社、二〇〇七年)所収に拠る。

[40]「率」第五号(二〇一三年)所収に拠る。

[41]「現代短歌」二〇二〇年七月号所収に拠る。

[42]前掲註[39]

[43]「率」第七号(二〇一四年)所収に拠る。

[44]大辻隆弘『近代短歌の範型』(六花書林、二〇一五年)所収に拠る。

[45]前掲註[1]